中学のときかな、川島さんのTVをたまたま観て僕は誓った。「俺も京大医学部に行く」ってね。途中くじけそうになったけど諦めなかった。だから皆も諦めちゃだめだよ。 「世界チャンピオンにはなれなかったが、随分と遠くへと来れた」 2000年秋、大阪府立体育会館で行われたプロボクシング西日本新人王戦を見ていた。勝者のなかでMVPに選ばれたのはウェルター級の川島実。2ラウンド、カウンター気味の右ストレートを決めてきれいなKO勝ちをおさめた。とくに秀でたものは伝わってこないが、基本に忠実で、けれんみのないボクシングをする。新人王らしい新人王と映った。 ●京大卒医師で新人王 翌日のスポーツ新聞、「京大卒の医師ボクサーが新人王に!」という見出しが躍った。いわば“珍種”である。それが終始、世間から付与される形容詞であった。 以降、川島は試合を重ねたが、昨年10月、はじめて体験した10回戦、1ラウンドでKO負けする。これがラストファイトとなった。通算戦歴は15戦9勝(5KO)5敗1分。“医師ボクサー”がリングで得たものはなんであったのか――。大学側にある旧い喫茶店で向かい合った。 ボクシングとの馴れ初めは、大学入学時である。中学・高校時代、ずっとバレー部に所属した。京大に進んだバレー部員がボクシングをやるという。彼につれられ「たまたま」の入部であった。それまで人を殴ったことなどなかったが、ボクシングというスポーツが相性に合う。魅了され、打ち込んだ。 ●一般のレール外れたい 医学部を卒業。医局に入り、医師としての階段を上っていく……。はじめて「迷い」を覚えた。やっとボクシングのおもしろさがわかってきた。いまやめるのはいかにももったいない。医者はそれをやめてまで就きたい職であるのか……。一般のレールを外れたいとする抗しがたい気持ちに襲われた。卒業を前に、京都拳闘会の門をたたき、プロの道を歩みはじめる。 行く道を決めればわき目もふらずに進む性格をしていた。受験勉強もそのひとつ。医者になりたいというより難関の学部に入るというのが目標設定となっていた。大学時代、「北へ進む」と決めて大学を出発、いにしえの鯖街道をひたすら歩き続けて日本海に出たことがある。フランス国内を自転車旅行したこともある。目標を決めれば頑張れる。左ジャブの習得に、半日、サンドバッグを叩き続けても苦にならない。 ボクシングにおける目標は、オスカー・デ・ラ・ホーヤを倒して世界ウェルター級チャンピオンになること――。 大学ボクシングの試合は「自分が楽しむもの」。プロは「お客さんが楽しむショー」。次元の相違はあるが、ストイックな日常から「パッと開かれた非日常」を迎えることは同じであった。試合は「お祭」。楽しみであり好きだった。プロ向きの性格をしていた。 ただし、アマとプロの次元の相違はあった。4回戦、6回戦、10回戦……。階段を上るにつれ、はっきり力量が異なる。ボクシングはすぐれて努力のスポーツであるとともに素質のスポーツでもある。ラストファイト、明らかに格が違っていた。固い岩に当たって砕けた――倒されたリングでそんな知覚を覚えていた。 ●家族にあたり「やめ時」 薬剤師の女性と結婚し、子供が生まれた。家庭にボクシングは持ち込まないつもりでいたが、幼児が1人でオシッコに行けなくなった。敗戦で、つい身近な家族に鬱憤をぶつけていたらしい。やめ時だ、と思った。 いま和歌山・串本に住む。ボクサー時代、医師の国家試験に合格している。医者稼業はいつでもはじめられるが、いまだ「ボクシング依存の禁断症状」が残っている。地域にある病院のデイケアの手伝い、借りた田んぼでの米つくり、それに子育ての3つに時間を費やしている。新たな目標設定の準備中、といったところである。 アマで6年、プロで4年、ボクシングという世界に身をひたした。「夢のような日々」を過ごしたと思う。 ――収支決算はいかん? 「そうですね、世界チャンピオンにはなれなかったですが、随分と遠くへと来れたかな、とは思いますね……」 遠くへと来た――。10代の後半から10年。ぎっしりと時間が詰まったこの時代、ひとつの対象に打ち込んだ。それから退いたとき、ふっとそのような感慨を覚えること。それはきっと悪くないことに違いない。
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