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sayaya

無題

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無題

身体が吹き飛ぶこともなく、それどころか一滴の血も流れない。壊れるのは服だけであり、覗くのはピンクのブラだけだ。子供向けアニメならまだ分からないでもないが、艦これは深夜アニメである。『プリキュア』のように負傷や死を婉曲に表現するべきルールはないし、キツいなら『テラフォーマーズ』のように黒ベタ塗りすればよいのだ。 なぜ、沈みゆく如月には傷ひとつつかず、眠るように轟沈したのか。そこから見えてくるのは、「物としての艦娘」である。 艦娘とは、軍艦を擬人化した存在である。つまり、もとを正せば軍艦という兵器であり、「物」である。兵器という「物」である以上、使い続ければ壊れるし、軍艦は敵の攻撃で容易に破壊される。むしろ、ある程度は損害を前提に使うものであり、破壊されて沈むことが想定されたものだ。無論、人を乗せるものである以上、容易には沈まないようになっているものの、人命と船を天秤にかけて「船の方を救うべき」となることはまずあり得ない。 思うに、沈められた時の如月は「人」ではなく、「物」だったのではないだろうか。兵器が破壊される瞬間にドラマは生まれにくい。戦争映画でも、吹き飛ばされる戦車の思い出話がインサートされることはそんなにない。主人公たちが乗った戦車ならまだしも、ぽっと出のモブ戦車は数秒で爆破炎上するのが常だ。そして、艦これ原作というバックグラウンドを引っこ抜けば、アニメの如月は脇役もいいところだ。 如月のあっけない轟沈とは、「艦娘の本質は兵器である」という制作サイドからのメッセージではないだろうか。血も流さず沈みゆく彼女は、燃料と弾薬と鉄とボーキサイトを煮詰めて作られた「物」であった可能性を、あの作中要素からどうやって否定できようか。そして、「物」ゆえにあっけなく最期を迎えるとするならば、そこには「多数のキャラクターを生産して掘り下げることなく使い捨てる」という、ソーシャルゲームの本質すら描かれているとも解釈できる。実際、脈絡なく原作セリフを話す姿は、物語なきキャラクターをどうにかして動かすための、努力の結晶ともいえる。そして、動かしようのないキャラクターを破棄し、生き残った者たちの駆動力とするならば、作劇としては下策だが「ソーシャルゲームのアニメ」としてはむしろ上策であろう。 keen danner onitsuka and1 dc トリッカーズ パトリック dr martin briefing vanz newbalance poter porter
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