金 正恩(キム・ジョンウン、김정은、1984年1月8日[2][3] - )は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の政治家、軍人。同国の第2代最高指導者金正日の三男で後継者。父の死により最高指導者の地位を継承した[4]。現在、朝鮮労働党第一書記、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会第一委員長、朝鮮労働党中央軍事委員会委員長、朝鮮労働党中央政治局常務委員、朝鮮人民軍最高司令官を務める[5][6]。党内序列は第1位[7]。軍事称号(階級)は朝鮮民主主義人民共和国元帥[8]。 金正恩は北朝鮮の第2代最高指導者である金正日の三男として生まれた。母は北朝鮮帰国事業で北朝鮮に渡った大阪出身の元在日朝鮮人であり、金正日から日本風に「あゆみ」と呼ばれていた高英姫(横田めぐみとの説[9]もある)。金正日の長男の金正男は異母兄、次男の金正哲は同母兄となる。祖父は北朝鮮の初代最高指導者である金日成。母方の祖父は日本軍協力者の高ギョンテクである[10]。済州島に出自を持つ大阪出身の在日朝鮮人の母親を持ち、幼少期から日本人の専属料理人、藤本健二が作った寿司を好んで食べ、当人自身も東京タワーに興味を持つなど日本文化に囲まれた状況で育った[11]。 1996年9月よりスイスに留学し、ベルンの国際学校で「パク・ウン」という偽名を使用しながら教育を受けた[1][12][13][14][15][16][17]。国際学校には数か月しか在籍せず、隣接する公立小学校でドイツ語を学んだ[1]。在籍していた学校については諸説あり、リーベフェルト市の公立学校で金正恩と知り合いであったと主張する人物の情報もある[18]。1998年9月、ベルンの自宅近くの公立中学校に編入[1]。スイス滞在中は北朝鮮の在スイス大使が目付け役として身辺の管理を行っていたほか、親戚の寄り合いがインターラーケンやレマン湖の別邸で行われることもあった[19]。2000年8月、夏期休暇が終わると公立中学校を退学して帰国した。留学の経験から母国語以外に英語、中国語、ロシア語、ドイツ語、フランス語[20]など数ヶ国語を話せるとする報道もある[21][22]。日本語についても漢字の書き取りなどをしていたとされ[23]、来日経験もある[24][25][26]。日本については国力差を認識する発言を残している[27]。 2000年以降の動向はスイス時代と共に北朝鮮政府内の秘密事項として公にはされず、現在でも指導者就任から間もないこともあり部分的にしか報道されていない。明確なのは、父と同じく北朝鮮内における最高の教育機関である金日成総合大学に在学していたことと、軍の教育機関である金日成軍事総合大学(党内の養成機関である金正日政治軍事大学とは異なる)で訓練を受けていたことである[28]。金日成総合大学では情報工学を学び、金日成軍事総合大学では砲兵指揮を専攻したとされている[29]。 北朝鮮では最高指導者の地位が金日成から金正日に世襲されたため、日本・韓国などのメディアでは高齢である金正日が自身の子息を対象にした後継者選択を想定する傾向にあり、その中で日韓のメディアにおいては後継者候補として三男である金正恩の名前も挙げられることがあった。ただし当初は長男の金正男、あるいは軍部の支持を受けていた次男の金正哲の指名が予想される傾向があり、必ずしも最有力と見なされていた訳ではなかった。しかし2009年1月15日、「金正日が金正恩を後継者として指名した」と韓国の聯合ニュースが報道するなど[30][31]、次第に金正恩後継者説が濃厚になっていった。さらに同年2月15日の聯合ニュースの報道によれば、金正日の健康が悪化した際に義弟の張成沢が金正日に金正恩を後継者にするよう働きかけたという[32]。 2009年6月2日、韓国の東亜日報は、同年5月25日の核実験後に、金正恩が後継者に選ばれたことを在外公館に通知した事実が確認されたと報じた[33]。また金正恩が「国防委員長代行[34]」という職位に就いているという複数の証言もあったが[35]、これは現在に至るまで公式には確認されていない。2010年2月17日、韓国の自由北朝鮮放送が、北朝鮮当局が全国の「ジョンウン」を名乗る人物に対し改名を命令したと報道した [36]。
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