YUKI(ユキ、1972年2月17日 - )は、日本の女性歌手。元JUDY AND MARYのボーカリスト。北海道函館市出身。血液型はA型。本名は倉持有希(くらもち ゆき)、旧姓は磯谷(いそや)。 1991年6月、映画「いつかギラギラする日」の撮影のために函館市を訪れていた恩田快人と出会ったことがきっかけで、翌1992年2月にJUDY AND MARYを結成した[1][2]。 1994年、4月からオールナイトニッポンのパーソナリティーを2年間務める。 1996年、『そばかす』がオリコンチャート初登場1位を記録。 1999年、JUDY AND MARYの活動を一旦休止。7月、B-52'sのケイト・ピアソンらと結成したスペシャルバンド「NiNa」にシンガーとして参加。11月、シンガーソングライターのCHARAとCHARA+YUKIを結成する。 2000年2月、JUDY AND MARYの活動を再開。 2000年9月、真心ブラザーズのYO-KINGこと倉持陽一と結婚。 2001年3月8日、JUDY AND MARY解散。10月、CHARA、ちわきまゆみ、YUKARIEと、女優の伊藤歩をボーカルに迎えたガールズバンド「Mean Machine」を結成し、ドラマーを務める。 2002年、シングル「the end of shite」で本格的なソロ活動をスタート。 2005年3月、長男(1歳11カ月)が朝、自宅にて突然死していたことを自身のホームページ上で報告[3][4]。死因は明かされていないが乳幼児突然死症候群(SIDS)の可能性が高いと報じられた。 2006年8月、第二子となる男児を出産。 2008年、3月22日から3年ぶりとなるライブツアー「YUKI concert New Rhythm Tour 2008」を行った。 2009年5月、第三子となる男児を出産。 2012年5月6日、アニバーサリー・ライヴ『YUKI LIVE“SOUNDS OF TEN”』を、JUDY AND MARY解散ライヴ以来、約11年振りに東京ドームで開催。女性として初めてバンドとソロの両方で東京ドーム公演を行った歌手となった。 同年12月、第63回NHK紅白歌合戦にソロ活動開始後初めて出場。女性歌手がバンドとソロの双方でNHK紅白歌合戦に出場するのは史上3人目となる(高橋真梨子(ペドロ&カプリシャス)、原由子(サザンオールスターズ))。 これまでにエッセイ集などの著作活動や、UA主演の映画『水の女』への出演など、音楽以外の活動も行っている。 GLAYのJIROとは高校時代からの知り合い。また、TAKUROら他のGLAYのメンバーとも高校時代から交流があり、「自分の高校でGLAYが人気」と教えたところ、喜んだTAKURO達はYUKIの通っている高校の周辺にポスターを貼り回ったが、貼った次の日は夏休み初日だったというエピソードがある。学生時代はアブノーマルという女子だけのバンドを組んでGLAYの主催するライブに参加し、「かまって」と「モノクロームの思い出」という曲を作った。 函館ではバスガイド、上京直後はエステティシャンをしていた。 音楽情報誌「WHAT's IN?」(ソニーマガジンズ)で私生活を写真と手書きの文章やイラストで綴った「YUKIの果てしないたわごと」を連載していた。 2004年頃から、ボブのウィッグの着用を始める。2008年頃からはウィッグをつけないロングヘアでの活動も増えている(「汽車に乗って」のジャケット写真など)。 コラムやファッション誌、テレビ出演等に度々パンダグッズを登場させている。レベッカの大ファンで、函館時代にはレベッカのコピーをしていた。JUDY AND MARYのFMラジオでNOKKOをゲストに迎えた時、「私はレベッカの歌は全て歌えます。」と話し、NOKKOは感嘆の声を出して喜んだ。JUDY AND MARY時代にExciting Summer in WAJIKI '00で共演した際は、NOKKOのステージをステージ脇のテントから見ていた。NOKKOの出番はJUDY AND MARYの出番より前であったため、YUKIはヘアメイクをしていない状態だった。 サザンオールスターズのファンでもあり、1998年に放送されたデビュー20周年記念の特別番組では、祝福のメッセージを送った。 栄養士の資格をもっているとwebRadioで明かしている。 元喫煙者。セーラムライトを吸っていたが禁煙した。 ラジオ番組「YUKIのオールナイトニッポン」では、1部昇格以前は番組内で放送禁止用語を頻発していた。番組開始からずっと、後に夫となる真心ブラザーズの倉持が好きだと言い続けていた。その倉持が番組に出演したこともあった。オリコンチャートで1位を獲得するが、プレッシャーを感じており、布袋寅泰から、「あんなチャートは全部インチキだ。だから、気にしないで自分なりの音楽を続ければいい」と言うニュアンスの言葉をかけられ、ヒットチャートへの圧迫感に対してのやりきれなさを吐露した。2部時代ゲストにはしょっちゅうTAKUYAが乱入していて、YUKIとの2人体制になることもあった。1996年3月22日には「海道北男フェスティバル」と称し、ニッポン放送銀河スタジオにリスナー60名を集めて公開放送をおこなった。
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